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2015-11-14

映画「劇場版 MOZU」を観ました(感想/レビュー)

映画「劇場版 MOZU」を観ました。
とても大好きな作品なので、感想でも書いてみたいと思います。

mozu 映画「劇場版 MOZU」を観ました(感想/レビュー)

「MOZU」はもともと小説「百舌の叫ぶ夜」、「幻の翼」が原作で2014年4月から「Season1〜百舌の叫ぶ夜〜」がテレビで放映され、同年10月からは「Season2〜幻の翼〜」もテレビで放映されました。僕はこの作品の前に「ダブルフェイス」を観ていて西島秀俊にすっかり嵌ってしまい、その西島秀俊が引き続いてハードボイルド作品に出演するということで、テレビ版「MOZU」を観はじめました。

■「MOZU」の魅力について

「MOZU」の魅力は”狂気”と”謎”だと思っています。狂気というのは狂っているという意味もありますが、どこか一途というかまっすぐに一つに突っ走る。全うする。という感覚もあります。「MOZU」に出てくる登場人物は何かの想いを胸にまっすぐに突っ走り全うする姿が描かれています。そして、謎が謎を呼び、謎を解くために物語が進んでいくとう作品です。その謎というのは”ダルマ”という存在であったり、”狂気”そのものの根源の”謎”であったり、愛する人の行動の”謎”であったりします。

また、登場人物も魅力的です。狂気のMOZUと化した「新谷和彦」、「新谷宏美」兄弟はこの「MOZU」という作品におけるキーワードである狂気と謎をいってに引き受けています。モズという鳥は”はやにえ”という習性があり、捕らえた獲物を木の枝等に突き刺したり、木の枝に挟む行為を行います。その習性はいくつかの説があるものの何の為に行っているかは解明されていません。このドラマの冒頭に流れるナレーションではそれは衝動であり、理由なんてないのだと説明しています。

僕が好きになったキャラクターは元公安部捜査官でセキュリティ会社役員で「東和夫」です。長谷川博巳という俳優を知らなかったのですが、この「MOZU」で知ることとなりました。大変魅力的な俳優さんで、「MOZU」におけるカウンターパートナー的な存在で重要なシーンには必ず現れます。「東和夫」がいう誰かの犠牲の元に成り立っている世界の秩序とバランスというものはある意味普遍的なテーマであり、「東和夫」が持っている闇の部分の解明も興味が沸くところです。また、彼の言動から導き出される狂気というのはどこか傍観者的で俯瞰的な側面がありそれは我々大衆の映し鏡でもあるように感じてしまいます。

物語のスピード感がとても早く狂気に裏打ちされた暴力性は見るものを引き込みます。また謎が謎を呼ぶわけですから、謎の解明が待ち遠しく毎回毎回見入ってしまいました。そしてテレビ版ではもっとも謎としての存在、キーワードである”ダルマ”については謎のまま終わってしまいました。視聴者には本当のことが見えないまま終わってしまうという作品に怒りを覚えそうですが、謎のままでも良いのかもしれないと思わせてくれる作品でした。

そんな「MOZU」が映画になるということで僕はとても楽しみに映画館に行きました。

■「劇場版 MOZU」の概要について

さて、2015年11月に公開された「劇場版 MOZU」ですが、テレビとは違い暴力描写がとてもストレートで激しいです。僕は血ノリが飛び散るシーンはあまり得意ではないので、最初から体全体の力が入りとても疲れてしまいました。松坂桃李が演じる「権藤剛」はこれまでにない狂気を表現していて、満たされない何か、守るべきものがない何か、目的さえわからない何かを持った狂気が生み出されています。また、伊勢谷友介が演じる「高柳隆市」はとても知的でクールな男として描かれていて、目的の遂行には手段は選ばないというスタンスでストーリーの要を握っています。

これまで謎として扱われてきた”ダルマ”はビートたけしが演じていまして、彼を見たものはその呪縛から逃れられないと言われていて、夢の中に出てくる謎の男としてもストーリー全体の最大の隠れたボスキャラとして描かれています。

■「劇場版 MOZU」のダイナミックさについて

とにもかくにも「劇場版 MOZU」はダイナミックな戦闘シーンが満載です。これまでは繊細で機敏な個と個の戦闘シーンが見ものだったのですが、映画では爆破のシーンや海外ロケによるエキゾチックな舞台性が魅力の一つとなっています。そして、なんといっても西島秀俊演じる主人公の「倉木尚武」は不死身な感じが強い個としてのダイナミックさを増徴させているように思います。ハードボイルド作品の多くは主人公は絶対であり死ぬことはありません。この作品の主人公もも圧倒的な強さと目的を成し遂げる為ならどこまでも相手を追い詰めていくという信念が満ち溢れています。その信念は男なら誰でも一度は憧れる強くて格好良い男のイメージそのものではないでしょうか。

■「劇場版 MOZU」のストーリーについて

「劇場版 MOZU」は前半から中盤までが主人公である倉木の夢の中であったという設定です。ビルの占拠、大使館車両への襲撃、ペナム共和国での死闘など一連のシーンがバーで眠る倉木の夢の中で起こったいたことだという捉え方ができる場面があります。そのシーンの後にダルマとの最後の決着のシーンへと移ります。

この映画を観て一週間ほどこのことについて考えていたのですが、もともとの「MOZU」の設定は”ダルマ”は夢の中に現れて、それを見たことがある人がいてある種の都市伝説となっているということ。「東和夫」がいう”オメラス”の存在。”オメラス”は世界の秩序を保つある種の理想郷であり、ある種の平和維持装置であるということ。

これらを考えるとそれは夢であるのか現実であるのかという垣根を越えていて、人々が持つ夢と現実の狭間で揺れる希望や悩みや狂気や暴力や憎しみや悲しみなどといった全ての感情が夢であり現実であるんだといわんばかりの構成なのです。

■「劇場版 MOZU」のメッセージとはなにか

愚直に自らが望むことへ追求することや、知りたいと思うことへの探究心と粘り強さがこの作品の大きな流れの一つです。そして、夢に現れてくる大きな存在、それは戦うべき相手であり、勝ち取るべきものであり、必ず対峙しなくてはいけない何かであるということ。それ自身は夢であっても現実であってもどちらでも構わないものだし、夢に出てくるその存在は現実にも存在るとということ、またその逆も言えるということが描かれているように思います。

また、何かの力とそれを支える力のバランスの中で生きている側面があり、必ずしも善や悪では片付けられない絶妙なバランスの上で生きているということが描かれていると感じました。「劇場版 MOZU」で明らかになったもう一つの狂気といえば、誰かの意思を他の誰かが特別な悪で動機付けるということです。主人公である倉木の最大の弱みが”ダルマ”を夢に出させることになり、真木よう子が演じる同僚の「明星美希」も最大の弱みを掴まれて動機付けされるということ。そして、キーパーソンである「東和夫」もまた何か明かされることのない弱みを掴まれていたということが、この物語の新たな視点の追加であると思います。

大きな力とそのバランスを欠くことで秩序を壊したいという「東和夫」の願いは現実に現れた”ダルマ”を倒すことで叶えることができて、弱みを捕まれて動機付けされた人々は解放されるということなのだと思います。

つまり、社会における規範や秩序を構成する力と個人との関係が描かれているということと、個と個との関係性においての動機付けや知りたいという欲望について描かれていて、根本的な個としての衝動や狂気というものがその根底にあるのではないかと想像するのです。

ここまでこの文章を書きながら「MOZU」という作品の全体像を思い起こしてみましたが、アクションの素晴らしさに加え謎の部分でも楽しませてくれる作品だったなあと思います。「劇場版 MOZU」では時間の関係もあって描ききれていなかったストーリーもあると思いますので、是非、また何か別の機会に作品として描いて欲しいなと願っています。これで終わるもよしですが、これで終わらなかったとしても「MOZU」好きの我々は「何だよ終わったんじゃないのかよ」と言いつつ内心では喜ぶことでしょう。

そんな日が来ることを少しだけ期待してみようと思います。



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