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2014-12-29

映画「ゴーン・ガール」を観ました(感想/レビュー)

映画「ゴーン・ガール」を観ました。
とても感慨深い作品だったので、感想でも書いてみたいと思います。

gone girl 映画「ゴーン・ガール」を観ました(感想/レビュー)

「ゴーン・ガール」この映画を知ったのは、トレント・レズナーによる告知でした。近年のデヴィッド・フィンチャー監督作品である「ソーシャル・ネットワーク」、「ドラゴン・タトゥーの女」に続き「ゴーン・ガール」のサウンドトラックを手がけています。

トレント・レズナーはいわずと知れた「Nine Inch Nails」のボーカルでありコンポーザーです。バンドとしてはインダストリアルな楽曲を中心に提供していますが、個人ではこれまでノイズやアンビエントな楽曲を提供しています。

僕のこの映画への楽しみの比重は作品の内容というより、劇中を流れるサウンドの方に興味を持っているようなものです。また、デヴィッド・フィンチャー監督の作品はどれも素晴らしいものですが、暴力や性の描写に目を覆いたくなる場面が多くあり、個人的にはどこか身構えてしまう作品であることは否めません。

「ゴーン・ガール」は事前の知識をほとんど入れずに、何やら夫婦間の問題を中心に描かれているようだといったぐらいの感じでふらっと映画館まで観に行きました。

この映画は原作が欧米でベストセラーになった小説を映画化しているようですね。とても緻密な構成で観ている者がどんどん物語の謎に引き込まれて行き、真実を知りたくなる作品でした。真実が少しづつ解き明かされていくにつれ、夫、妻、元恋人またはその他登場人物の誰かの立場と自分の心や経験を照らし合わせてしまう作品だと思います。

主人公は妻であるエイミーです。エイミーは美しくとても頭が良い才女で、自尊心の塊のような人。夫であるニックは少年のような真っ直ぐさを持ち合わせつも少しだらしない部分がある人。それぞれがそれぞれを必要としていて、それぞれがそれぞれのプライドを持ち、補完しあっている夫婦像で描かれています。ただ、その補完しあっているはずの夫婦が年月と共に少しづつ変わってしまいました。日々の生活の中でロマンスは消えて価値観の相違と環境の変化がお互いを遠ざける方向に向かわせてしまいます。

妻であるエイミーは長い年月を掛けて夫であるニックを陥れる計画を立てついに実行に移します。ニックは徐々に追い詰められ犯人だと疑いの目を向けられるようになります。ニックは疑いを晴らすべくエイミーが仕掛けた巧妙な仕掛けを解き明かしていく物語です。

僕が「ゴーン・ガール」を観て思ったのはマクロ的な視点とミクロ的な視点の二つでした。

■ゴーン・ガールにおけるマクロ的な視点

近代化という側面からこの映画を観てみると、西洋における近代化のプロセスと個人化への歩みによる現象の一つではないかと考えました。西洋における近代化のプロセスとは「経済的近代化」、「政治的近代化」、「社会的近代化」、「文化的近代化」という歩みです。その中でも「社会的近代化」というプロセスの中で社会といったものが形成され個人化という歩みに先行して向かっていました。そういった流れの中でフェミニズムなど女性解放運動も行われ成熟した近代社会の像というものを創りあげたと考えられます。その中で女性の高学歴化、社会進出が進み、結婚も個人化してゆきました。成熟した近代社会における男女間のパワーバランスは対等になっていったのです。そのような社会における結婚という制度と男女の関係性における問題というものがこの映画では描かれているように思います。

日本においても近代化は少しづつ進んでいて、家、家族という概念がまだまだ根強いですが個人化が急速に進んでいます。女性の高学歴化や収入が高くなるにつれて、これまでの日本社会で根強くあったハイパーガミー(女子上昇婚)という考え方がそこに大きな壁を作ってしまいます。女性はこれまでのように結婚をすることで必ずしも生活基盤が上昇するということはなく、むしろ女性の方が男性を養うような構図が普通になるかもしれません。そういう社会における男女間の意識の違い、考え方の違いは結婚観や生活観に大きなインパクトを与えるでしょう。

■ゴーン・ガールにおけるミクロ的な視点

妻エイミー、夫ニック、元恋人、その他登場人物の生活レベルというのは社会構造そのものを描いています。そこには都市生活と田舎暮らしという視点も含まれ映画を観る人はその時々で自分の中でそれぞれの登場人物との接点を感じると思います。この映画は本質的にエイミーが悪女のようには描かれていません。女性の側から見た主義主張。男性側から見た主義主張。基本的に秘匿な状況下におかれる夫婦間のあらゆる状況と周囲との関係性における問題点。これらをベースにお互いが依存関係にあり、本質的には持ちつ持たれつの関係であるという結末になります。この点において、我々は何を思い知らされるのでしょうか。

個人による視点の違いを紐解いてゆけば、正しいことというのは人それぞれの見方、立場において正反対のものであるということ。複雑化した人間社会の縮図ともいえますし、個人間のトラブルというものの本質はこういった物の見方の違いが大きいのではないかと考えられます。つまりは、価値観の違いということが大きな問題であると同時に多様性というものは本当に難しい問題であるということです。ましてや結婚ともなるとそれは生活という日々のレベルにまで落ちてきます。価値観というものが人の幸せを決めるのであれば、価値観の違いというものは人と人との関係性の大部分を占めるということだと思います。

そういった内容の断片がこの「ゴーン・ガール」には沢山詰まっています。目を覆いたくなるような描写もありますが、物語の方向性と描き方はギャグに近いような結末を辿ります。

女性が観るとまた違った感想があるのではないかと思いますが、男性である僕は戦々恐々とした気分になったのは言うまでもありません。そして、トレント・レズナーのサウンドトラックはこの映画の内容を引き立てる演出効果の高い音楽でした。



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