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2014-11-02

小説「すべて真夜中の恋人たち」を読みました(感想/レビュー)

小説「すべて真夜中の恋人たち」を読みました。
川上未映子氏の小説を読むのは初めてです。感想でも書いてみたいと思います。

 小説「すべて真夜中の恋人たち」を読みました(感想/レビュー) 小説「すべて真夜中の恋人たち」を読みました(感想/レビュー)

すべて真夜中の恋人たち (講談社文庫) 小説「すべて真夜中の恋人たち」を読みました(感想/レビュー)

川上未映子氏は同年代ということもあり、勝手に親近感を感じていたのですが、とても綺麗な容姿と独特のキャラクターからどんな文章を書く人なのかは知りませんでした。随分前に、ジャケットが気に入って「悲しみを撃つ手」というCDを買ったことはありましたが、それ以降は川上未映子氏の作品というものに触れたことはありません。

大阪育ちの独特のキャラクターであることが先行イメージとして僕の頭に残っていて、小説を読む機会を遠ざけていたのかもしれません。また、同年代の物書きという者にどこか受け入れがたい感情を抱いていたのも少なからずあります。

とある日曜の朝にテレビ番組を見ていると芸能人の誰かが「すべて真夜中の恋人たち」を読んで号泣したという話をしていました。僕もこの小説のタイトルは知っていたのでとても気になっていましたし、そんなに良いのなら時間をかけて読んでみたいと思いました。

アマゾンのレビューでは残念ながら酷評が多くて買うのを躊躇ってしまったけど、僕はこの言葉の意味を知りたかったのです。

真夜中はなぜこんなにもきれいなんだろうと思う。それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思い出している。

なんてロマンチックな会話なのでしょうか。世界はどこか半分づつでできていると思わされる言葉です。昼と夜、光と影、男と女、喜びと悲しみ、愛情と憎悪、喧騒と静寂、などなど挙げたらキリが無いほど世界は半分づつでできています。

僕はこの小説の中に世界が半分づつできている答えが隠されていないかと期待していました。

主人公である冬子の代わり映えのしない生活とうごめく感情を中心に物語は進みます。物語そのものの舞台は冬子の生活圏内の中で全てが完結しているとても狭い範囲内の出来事で、ダイナミックなシーン展開はありません。しかし、それがまた良いのです。冬子の内面の声や変わりゆく状況が淡々と積み上げられていきます。

相反する性格やライフスタイルの違う聖との関係性が変化していくこともこの物語の本質なのかと思います。人はもう半分を追い求めて生きているのならば、間違いなく冬子と聖はお互いもう半分の求めている自分そのものなのだろうと感じました。三束さんとの関係に至っては自分と同類の思考で似ている部分を求めながらも違う性であることから生じるもう半分を得たいと思ったのではないかと思いました。だから三束さんとではなく、聖との関係性が最後に残った形で物語が終焉していくことになったのだと考えました。

人は足りない何かに目を向けて補おうとします。自分が持っていることと他人が持っていることに目を向けて別の自分を欲しがったりします。真夜中には世界が半分になる。それはそんな自分の心の中を垣間見る普遍的な時間のことなのかもしれません。

登場人物は多くは無いけれども、それぞれの登場人物と冬子の言葉のやりとりは人が持つある一面とその相反したもう一方の一面が緩やかに絡み合って収れんされていく様子が描かれています。その様子は激しくはないけれど、ゆっくりと確実に人と人との関係性を作っては消していきます。

読み終えてみて、冬子の感情を通して自分自身の内面を覗かれるような作品だと感じました。
世界が半分づつでできてる答えはより深まり、世界が半分づつでできているからロマンチックであるのだなと思います。

この小説はハードカバーがとても綺麗ですが、つい先日、文庫化されたので多くの人に読まれたら良いなと思います。

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