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2014-09-21

映画「るろうに剣心」の三部作について考えてみた(感想/レビュー)

映画「るろうに剣心」の三部作について考えてみた。
先日、「るろうに剣心 伝説の最後編」を観て色々思うところもあったので感想でも書いてみます。

rurouni kenshin 映画「るろうに剣心」の三部作について考えてみた(感想/レビュー)

言わずとも知れた「るろうに剣心」の原作はマンガでテレビやOVAのアニメ化もされている大ヒット作品です。その昔、少年ジャンプで心躍らせながら読んでいましたし、テレビアニメ化がされて毎週楽しみに観ていました。テレビアニメでは主題歌やエンディング曲が話題になりました。

JUDY AND MARYの「そばかす」、川本真琴は「1/2」、T.M.Revolutionは「HEART OF SWORD ~夜明け前~」、SIAM SHADEは「1/3の純情な感情」で有名になっていったと記憶しています。また、L’Arc~en~Cielは「the Fourth Avenue Cafe」が使用されていましたが事情により差し替えられるという出来事もありました。アニメと音楽とが良い相乗効果を出してアニメだけでなく曲を提供したアーティストも売れていくという流れが出来上がったのも「るろうに剣心」の良さの一つかもしれません。

さて、そんな「るろうに剣心」を実写化するというのですから、ファンとしては楽しみというよりも不安でした。そもそもマンガやアニメをわざわざ実写化する意味合いが理解できません。マンガやアニメであるからこその描写があるわけだから、実写でそれを再現しても超えることはできないのではないかと思うからです。

しかし、そんな気持ちを打ち砕いてくれたのが映画「るろうに剣心」でした。2012年8月25日に公開された映画「るろうに剣心」はみごとに映画ならではの描写で原作の話を壊さずにストーリを一部繋ぎ合わせながら、見事な作品として仕上がっていました。

2014年夏、映画「るろうに剣心」の続きが見られるということで、僕は大変楽しみに公開を待っていました。まず、2014年8月1日に公開されたのが映画「るろうに剣心 京都大火編」です。これは剣心が志々雄真実の暗躍を阻止する為に京都に向かう話が中心になります。原作とそれほど外れてはいませんが、特に見所もなく、重要なはずである相楽左之助の二重の極み会得のシーンはまったくありませんでした。また、新井赤空の最後の一振りを狙う刀狩の張との対戦も見所の一つになるはずが、緋村抜刀斎と緋村剣心との移り変わりの葛藤が今一描ききれていません。最後に至ってはシークレット的な役割で登場した比古清十郎役の福山雅治が登場するシーンで終わります。金を払うに値しない映画だなと思いました。この後公開する「伝説の最後編」への中継ぎだとしてもとても酷い内容です。映画単体としてストーリーが成り立っているのかどうか疑わしいと思います。

そして、一ヶ月半程経過した2014年9月13日に映画「るろうに剣心 伝説の最後編」が公開されました。前作の京都大火編でがっかりしていた分、伝説の最後編はとても期待していたことは間違いありません。伝説の最後編はマンガやアニメと話が変わっている部分が沢山ありました。剣心が比古清十郎に飛天御剣流の奥義を伝授してもらうシーンはただのチャンバラになっていましたし、奥義である天翔龍閃を会得する為には九頭龍閃を会得することが必須であるにも関わらずその描写はありませんでした。また、奥義である天翔龍閃は「生きる」という視点が重要であり、死生観を刻み込む為に一子相伝の技であるべき描写が重要です。天翔龍閃を教えるということは教えた側は死ぬということがまた一つ大きな物語の要素なのではないでしょうか。原作では比古清十郎は死ぬことはなかったですが、天翔龍閃の技の根源を十分に訴えたシーンになっていたと思います。

四乃森蒼紫の緋村抜刀斎への執着についてはある程度伝わってはくるのではないかと思いましたが、最強の名を賭けるということは最強の技と技がぶつかりあうことに意味があると思います。映画では回天剣舞は一度も描かれませんでした。

また、十本刀との決着シーンは一つの見所であるはずですが、相楽左之助は二重の極みを会得することがないわけですので、安慈との決着シーンもただの殴り合いで終わります。そして、瀬田宗次郎が心を開放するシーンはとても粗末なものだと感じました。縮地や瞬天殺というの飛天御剣流にも負けることのない速さを武器に戦うシーンもありませんでした。

僕が「るろうに剣心」で一番好きなキャラクターは斉藤一です。悪即斬を信条に愚直に生きる斉藤一の姿は男を感じるからです。斉藤一の必殺技は牙突という突きのみです。突きしかないので、馬鹿の一つ覚えのように突きばかり放ちます。しかし、それが良いのです。牙突には壱式、弐式、参式とあり、最強の技は相手の意表を付く零式です。牙突は距離がある相手に脚力を使って遠くから突きを放つ技ですが、零式は上半身のバネを利用して近距離で牙突を放ちます。原作ではこの牙突が重要な役割を果たしてきました。剣心との戦いでは緋村剣心から緋村抜刀斎へと変身させたり、宇水との戦いでは相手の本質を見抜き欺いたり、その集大成として志々雄真実には一矢報いる技として剣心の助けとなるのです。しかし、映画「るろうに剣心」の三部作ではそれらしいそぶりで技を出すことはありましたが、牙突という技を明示することはありません。

とここまで書いてきて、総じて映画「るろうに剣心 京都大火編/伝説の最後編」にはがっかりしているわけですが。そもそも「るろうに剣心」の面白さというのはなんだろうかと考えました。

それは以下の三つなのではないでしょうか。

■時代性

一つ目、「時代性」というのはまさに幕末から明治という動乱の時代を描いていて、登場人物も実在した人物がモチーフになっている点です。特に説明は不要だと思いますが、時代背景そのものがストーリーを躍動させていることは間違いないと思います。

■キャラクターの二面性

二つ目、「キャラクターの二面性」というのは、緋村剣心が緋村抜刀斎という二面性を持っていることや、薫はやさしさと強さの二面性を持っています。また、斉藤一はハードボイルドで冷酷な一面と仲間を思う思いやりに満ちた二面性を持っています。また、もう一つ大きな視点でいうと敵と見方それぞれがそれぞれの言い分があり、どちらにも正義があるという時代性とも符合する二面性がテーマの一つなのだと思います。

■必殺技というツール

三つ目、「必殺技というツール」というのは、剣心でいうところの九頭龍閃や天翔龍閃、斉藤一でいう牙突、四乃森蒼紫でいう回天剣舞、瀬田宗次郎でいう瞬天殺、志々雄真実でいう紅蓮腕や火産霊神で、キャラクターが持っている個性一つであるはずの必殺技のことです。この必殺技どうしのぶつかり合いが「るろうに剣心」の最大の魅力であり、必殺技を通してそのキャラクターの人生観をも感じる大切なツールだと思っています。

2012年8月25日に公開された映画「るろうに剣心」ではまだ必殺技を必要としなかったこともあり時代性とキャラクターの二面性だけで十分に楽しめるストーリーでした。しかし、2014年夏に公開された映画「るろうに剣心 京都大火編/伝説の最後編」では敵も強くなり登場人物はそれぞれのキャラクターの二面性を持ち合わせています。そして、そのキャラクターとキャラクターとの死闘から生まれる物語が中心のはずなのに、そこで重要な「必殺技というツール」を描くことはしませんでした。戦いのシーンでは香港映画のようなアクションシーンが中心で技をキャラクターと共に描かなかったことが、物足りなさの要因なのではないかと考えました。

これは僕だけの感覚かもしれませんが、映画「るろうに剣心 京都大火編/伝説の最後編」は圧倒的にそれらが欠けていたと思っています。一作目の映画「るろうに剣心」がとても良かっただけに残念でしかたありません。ただ、キャスティングの面では素晴らしい役者さんがそろっていて、キャラクターに見合った配役だと思いました。僕の好きな斉藤一を江口洋介が演じているのは最高に格好良いです。

考えが纏まっているようで纏まっていませんね。
批判的な内容になってしまい残念ですしなかなか難しい。

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