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2013-09-01

映画「風立ちぬ」を観てきました(感想/レビュー)

先日、映画「風立ちぬ」を観てきました。
感想でも書いてみたいと思います。

kazetachinu 映画「風立ちぬ」を観てきました(感想/レビュー)

宮崎アニメは好きなので映画になっている作品は過去のものも一通りは観ています。

今回、宮崎駿が大人に向かって正面から描いた作品だということに大変、興味を持ちました。

僕は宮崎アニメが持つ魅力の一つにストーリーの神秘性と処女性があると思っているのだけれども、「風立ちぬ」は実在する人物と時代背景が重なって神秘性と処女性から何歩も進んで具体性へと突入したように思います。

具体性といっても宮崎駿が持つ独特の感性のベールに包まれたこのアニメ映画は非日常としてのアニメではなく日常の延長線上に落とされた宮崎駿が説く命題のような気がしてなりません。

「風立ちぬ」を観る前に予習をしたい人は以下のサイトで簡単に予習しておくのも良かもしれません。

スタジオジブリ最新作『風立ちぬ』を観る前に知っておきたい5つのポイント

上記サイトにもあるように、「風立ちぬ」の時代背景は大正から昭和に移行する時代です。関東大震災、長引く経済不況、軍国主義化といった時代背景のもとに描かれた物語です。震災や長引く経済不況、近隣諸国との領土問題などを抱えた現在の日本の状況とも近しい状況下であることが、この物語を観るうえで感慨深いものになっています。

宮崎アニメ全体を語ることも「風立ちぬ」の詳細を語ることも技量として足りませんので、「風立ちぬ」が描くエリート像、仕事像、恋愛像の三つに絞り感想を書いてみたいと思います。

■「風立ちぬ」が描くエリート像について

物語の冒頭から主人公である堀越二郎は良家に育ちエリートで万能で男気のある人間であるということを我々に印象付ける描写が続きます。堀越二郎の少年時代を物語るシーンの一つにいじめられている少年を悪ガキから開放するシーンがあったり、空や飛行機に思いを馳せる空想シーンがあったりと、強くたくましく正義感のある頭の良い少年像が描かれています。

また、青年になった堀越二郎は列車の中で関東大震災にあい、そこで出会った菜穂子たちを助ける姿は勇猛果敢で冷静で教養に満ちた青年であることが伺えます。その後は東京帝国大学に通っていることが解るシーンがあり、エリートであることが決定的に印象付けられます。

この映画を観た人の中にはエリートである堀越二郎が次々にエリートであるが故の階段を上り、成功を繰り返しながら欲求を自己実現していくシナリオに違和感を感じた人も少なくないでしょう。

僕自身はエリートという名の階段といいますか、レールというのはあってしかるべきだと思っていますし、そういった人を直接見た経験もあります。特に時代背景を考えるとエリート育成は必然であり、政治や産業を生み出す者と労働者との間には大きな隔たりがあったに違いないと想像できます。

ただ、エリートが持つ気概というか気質に関わる印象についてはこのアニメ映画が描くエリート像からは僕の想像力を超えて違和感を覚えてしまうのです。「コクリコ坂」にも登場する学生像にも感じましたが、エリートという言葉の中に勇猛果敢で男気のある強い男性像というのは、これまで持ったことがなく、これまで、そういった人物には会ったことがありません。

勝手な印象になってしまいますが、エリートといえば勉強はできるけれども運動能力が劣っていたり、コミュニケーションに偏りがあったりする人物像を思い浮かべてしまうと同時に正義感をもって間違ったことを正す人とは違う人物像を持っていました。僕たち世代はまるで悪の象徴にも似た印象を持たされて育った世代のように思います。80年代から90年代にかけてのテレビ番組やドラマに描かれているエリート像がそういった印象を持つきっかけになった可能性はあります。

しかし、エリートというのは教育によって人が人を作り上げるものです。人の上に立つ人間は人として立派な人間である必要があるのだと思います。「風立ちぬ」が描くエリート像、堀越二郎のような青年が現代のエリートにもその像として皆が当てはめることができたら、幸せで未来のある日本の将来が
期待できるのかもしれません。

大正から昭和の時代背景を詳しく知っているわけではないので、当時のエリートの気概や教養については想像の域をでませんが、僕たちが持つエリート像と「風立ちぬ」が描くエリート像が乖離しているのであれば、その根本原因は何か今一度考えるに値するのではないでしょうか。

■「風立ちぬ」が描く仕事像について

このアニメ映画の一つの見どころは堀越二郎が仕事に没頭しながら自己実現をしてゆく姿でしょう。昨今ではワークライフ・バランスといった言葉で自分の人生と仕事との関係性を自分自身の意志でコントロールしようとしています。

堀越二郎は子供の頃から「やりたいこと」と「やれること」と仕事上の夢が一本の線で結ばれている幸運な人間でることは否定できません。しかし、堀越二郎は空への憧れや飛行機を作る情熱に関しては誰にも負けないぐらいに日々時間を投資しています。やりたいことが仕事になっているからこそかもしれませんが、僕には仕事に生きる男のロマンをこのアニメ映画に見つけることができました。

仕事というのはただ情熱を傾けているだけでなく、知恵を絞り技能を磨きながら、周囲との関係性の中で次のステップへ登るためのチャンスを待つことが大切です。僕の好きな言葉に「Planned Happenstance」というのがあります。チャンスを待つためにしておかなければならない心構えや行動様式を説いたものです。

堀越二郎はそのチャンスも次々に掴んでいく。エリートというレールだけでは語れない邁進力と求心力で自分の夢へと駆け上がっていく。そんな爽快な姿を見ているともっと自分も頑張れるのではないだろうかという錯覚に陥ってしまうほどです。仕事に忠実で仕事に真っ直ぐで仕事を成功させていく姿が勇ましく羨望の眼差しを僕は送ってしまうのです。

そういった意味ではこの「風立ちぬ」が大人のためアニメ映画だということが納得できるのではないでしょうか。大人ということは職業人である側面を大きく持つのだと思います。職業人として一人前になる頃、20代後半から30代以上の人が見て感銘を受ける作品であるようにも思います。

一方で、堀越二郎本人のモチベーションはどうかというと、また複雑な側面もあるのではないでしょうか。作りたいものは飛行機であるけれど、軍事目的での機能追求を求められるということは、物事には表裏一体、清濁併せ呑むといったこともしばしばあるといった普遍的なテーマも感じることができます。

物事を遂行するためには、清濁併せ呑むということを念頭に置きながら仕事に対する考え方を持つことができれば良いのではないでしょうか。

■「風立ちぬ」が描く恋愛像について

宮崎アニメの登場人物がキスシーンをする姿に独特の背徳感を抱くことになりました。処女性から具体性へと変化した「風立ちぬ」が持つインパクトの一つに恋愛像が挙げられます。どんな映画のキスシーンよりも素敵でエロスを感じでしまうことになってしまったのですが、その理由を紐解いていきたいと思います。

そもそも、これまでの宮崎アニメにキスシーンが登場しないのは、それを描く必要がなかったからだと思うのです。キスをするかもしれないが、描く必要のない関係性が描かれていたということでう。つまり、これからキスをするかもしれない余韻を描いていたことになります。

しかし、「風立ちぬ」はその余韻の先を描く必要があった。それは実在する人間を描くことと関係しているのではないかと思います。実在している人間を描くということは実在している人間そのものの生活の営みを描く必要があり、恋愛というのは人の営みそのものの一つであるからです。まるで駆け落ちでもするかのような突然の結婚式、甲斐甲斐しく堀越二郎のそばに寄り添い生活をする菜穂子の姿を描きながら、その中に人としての情熱が織り込まれている。その情熱の辿り着く先にキスがあり、交わるということの熱量がそこに描かれています。

「風立ちぬ」はファンタジーではないから、美しく綺麗なキスシーンとして描かれているわけではなく、人と人の営みそのものが交わることの行為の象徴としてキスシーンが描かれているのではないでしょうか。

吐血して自宅で休養中の菜穂子に堀越二郎は会いにいった。玄関から家に入るのではなく、庭を抜けて菜穂子のもとに飛び込んだ。そんなシーンが僕たちの心の真ん中を熱くししながらもどこか恥ずかしくも思う「風立ちぬ」の恋愛像は純粋でありながらもそれ故に恐ろしくもあります。

宮崎駿が描く洗練されたいつもの主人公たちが、さも僕たちと同じ世界に生きているような感じがして、僕たちと同じように生きていることを見せつけられたことへの不快感があの登場人物たちとは違う世界を生きてしまった僕たちの背徳感へと繋がったようにも思います。それと、単純に美しいものたちの恋愛という営みを見せつけられて劣等感にも似た感情を抱いたのではないでしょうか。

また、菜穂子が皆に黙って山へ帰ってしまうシーンは、そこに登場する人々の美学が詰まったとても良いシーンだと思いました。菜穂子は限りのある美しさを儚い時間の中で堀越二郎と共に過ごしていました。黒川夫人は菜穂子が黙って山へ帰ってしまうことに気がつきます。そして、追いかけようとする堀越二郎の妹を制止しました。このシーンには女性が持つ美学と感受性が沢山詰め込まれていると感じました。男にはわからない、気がつくことさえできない女性の美学があるのではないでしょうか。そんなことを考えさせられる名シーンの一つだと思います。

いずれにせよ、宮崎駿が描く恋愛はとても美しく極めてリアルであることを知りました。

そして、何といっても本編ラストに流れた荒井由美の「ひこうき雲」のメロディと歌詞が映画の世界にぴったりと合っていて感動しました。この曲が持つメロディと歌詞の世界観が本編ラストで僕たちに寄り添いながら映画そのものの一シーンとして余韻と感動を付け足してくれました。

僕は「風立ちぬ」はとても良い大人のアニメ映画だと思いました。

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